FTMではないFTXという生き方

 伊藤公雄さんが放送大学で講義した授業と同名のテキスト『ジェンダー社会学』の13章「セクシュアリティジェンダー」の中で、「トランスジェンダーという生き方」の項目で、私の本『トランスジェンダーフェミニズム』(インパクト出版会)が取り上げられていることを知る*1。そこでトランスジェンダーの例として挙げられているのは私だけ。これは日本のトランスジェンダーコミュニティの中でアウトローを自認している私には、少し居心地悪く感じた。
 
彼は、私のことをこんなふうに紹介している。「彼は、FTMTGのトランスジェンダーです。つまり、女性(F=フィーメイル)から男性(M=メイル)へとトランスジェンダー(TG=性別越境した)人なのです。彼は『女』としての自分に違和感を持っていたから、ジェンダーを越境したといいます。つまり、『女』から『男』になったのです。でも、『男』になるといっても、既存の『男らしさ』にこだわっているわけではありません。『女』『男』という固定された性別の二元論を超えた生き方をこそ、彼は求めているからです」*2

ここを読んで、私は思わず「え?ちょっと待って、ちょっと待って!そんなこと書いたっけ?」と思った。改めて本を引っ張り出して来て引用すると…。

「私は大雑把に言うとFTMだが、『本物の男』になろうとは思っていない」「正確に言うとFTMTXと言えるだろう」「私がトランスを始めたのは性別二元論から自由になりたかったからだ」*3
「完全に男性に『帰化』したいわけではない。だから、『女の子』として扱われると疲れるが、他人から『男の子』として扱われても、どうしても居心地の悪さを感じてしまう。『彼』『彼女』という三人称を自分にも他人にも使うのは苦手である」*4
 「私はFTM(female to male)に見えるため、『男の特権を手に入れたかった人』と解釈されるかも知れない。しかし、私はもしも下半身の手術をするとしても、戸籍上の性別変更をするつもりは全くない。私はずっと『性別』という強固なものの境界線上に立ち続ける」*5

と書いている。セクシュアリティについてセンシティブな伊藤さんにもその意図が伝わらなかったことにXという存在の印象の弱さ、FやMという性別二元論の強固さを痛切に感じる。

思い起こすと私が性別二元制違和を感じたのは3歳の時。厳格なカソリックの幼稚園に入れられ、性別分けされる経験を続けたことで、なぜ人間は「女/男」に分けられているのか、というのが真っ先にぶち当たった大きな疑問だった。そして、小学校3年か4年の時、偶然インターセックスの漫画を読み、人間は女と男だけじゃない、自分はこれに違いない!と確信。でも、16歳の遅い初潮で幻想は崩れ去った。それから、自分探しの旅が始まった。

一番の転機は、25歳の時、MTFレズビアンの痲姑仙女さんとの出逢い。それをきっかけに女性とも付き合う私はレズビアンコミュニティにデビュー。そして、活動の中でMTFTXゲイのKENNさんとの出逢い。その二つの出逢いが、私の性別からはみ出すための男性ホルモン投与に繋がった。私にはFTM系のモデルは誰もいなかった。でも、この二人と出逢えたからこその今の面白い展開だと思っている。

そんな生活の中から生まれたのが中崎クィアハウスというシェアハウスだ。約15年暮らして来て、同居して来たファミリーは人種や国籍もいろいろ、セクシュアリティジェンダーもいろいろ。個性も様々でいろんな人が出入りする。本当に人はいろんな嗜好を持ち、いろんな生き方をするんだなと実感。そんな経験から、私もFTXやジェンダークィアを名乗ることが出来る。

私はたぶん今後も「女として」あるいは「男として」生きる、という選択はしないだろう。トイレやプール、温泉などで選ばなければいけない時はあるとしても。

ともあれ、性同一性障害としてではなく、トランスジェンダーについて注目し、参考書として私の本を選んでくれたことには感謝したいし、だからこそ、『ジェンダー社会学』のようなテキストを今後出版される時には、ぜひXジェンダーについて、できれば女/男、F/Mといった性別二元論の概念と並べて、書いて欲しいと思う。